がんばらない主婦の自由帳

転勤族妻がゆる~く日常を綴ります

コロナ忘れたくない日記①〜1月末から2月末を振り返り〜

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新型コロナウイルスの影響がどんどん拡がっていますね。
1月に武漢での感染が日本でも大きく報道され始めましたが、あの頃はまさかこんな状況になるなんて思ってもいませんでした……。

今日(4/7)、7都府県に緊急事態宣言が発令されました。数ヶ月前には予測もできなかった事態です。
でも、数ヶ月後の私も今日のことを振り返って「この頃はこんなことになるなんて想像していなかった……」と言っているかもしれない。そんな恐怖を感じています。

今回の新型コロナウイルスが終息した時に振り返るために、そしていつか同じようなウイルスによる危機が起こった時の自分への教訓とするために、日々の出来事を記録して行こうと思います。

まずは記憶を辿ってこれまでの出来事を振り返ってみます。日記とかつけておけばよかったなぁ……。

はじめに


これは感染症への知識もないただの一般市民の備忘録です。
正確な情報については、厚生労働省(ホーム|厚生労働省)や 首相官邸(首相官邸ホームページ) のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報をご確認ください。

1月第4週


私が最初に新型コロナウイルスに関する報道を目にしたのがこの時期だった。
中国の武漢謎の肺炎に罹患した患者が多数発生しているという情報。まだまだ対岸の火事といった印象だった。
コウモリやヘビが感染源という情報もあり、夫と「中国人は何でも食べるねぇ」なんて呑気な話をしていた記憶がある。
(大半の中国人はコウモリ等の野生動物を食べないらしい。日本人にとってのすっぽんとかイナゴとかざざむしくらいの感覚なのかな)

この頃はまだ「COVID-19」という名前はなくて、「新型のコロナウイルス」、「武漢ウイルス」、「武漢肺炎」と称されていた。それもあってか「中国で流行っている病気」という印象が強かった。日々報じられる武漢の惨状に胸が痛んだ。春節に合わせて中国人客が多く来日するという報道があり、中国語を話す方とすれ違う時はなんとなく身構えてしまう自分がいた。

1/23、武漢市で都市封鎖を宣言。この後他の国でも次々と都市封鎖が起こるなんて予想もしていなかった。

私の職場は石川県金沢市の中心街。アジア系・ヨーロッパ系の観光客の多い地域だ。この時期はまだまだ外国人観光客の姿も多く見られて、いつもと変わらない日常が続いていた。

1月第5週


1/30、社内でのマスク着用義務が出た。社内にあるマスクを使用しても良いとのことだったが、全員が毎日つければ1ヶ月も保たないほどの量しか備蓄がなかった。
マスクと除菌系アイテムの購入指示が出たが、アスクルでは既に品切れだった。

自宅用のマスクをドラッグストアで購入した。不織布マスクは女性用・子供用の小さなサイズのみ残っている状態で、とりあえず女性用50枚入りを一箱購入した。
PITTAマスクは黒とピンクのみが残っていた。
除菌ジェルはほとんど品切れ状態で、辛うじて残っていた持ち運び用の小さな手ピカジェルを購入した。ウエットティッシュはアルコール・ノンアルコール共に店頭に並んでいた。

1月末の時点での国内の患者の発生は13例。武漢市から訪日していた中国人の方や武漢市への滞在歴のある方、中国からの観光客と接していた方の感染ということもあり、不安はあったがまだどこか他人事だった。

2月第2週


2/5、「ダイアモンドプリンセス号」での集団感染が判明。最初は10名の陽性確認ということで危機感はさほど大きくはなかった。
ドラッグストアの店頭からマスクが消えた。辛うじて見つけた濡れマスクは、割高に感じて購入しなかった。除菌ウエットティッシュの棚もノンアルコールのものばかり残っていた。
夫婦で花粉症なので、花粉シーズンが終わるまでマスクの在庫が保つかを心配していた。

2月第4週


ダイアモンドプリンセス号の乗客の隔離措置が続く中、クルーズ船内の感染者はどんどん増えていった。感染力の強さに、ようやく自分の中でも危機感が生まれてきた。
2/19から順次乗客の下船が始まった。
下船した乗客が公共交通を利用して帰宅することに対し、Twitterで批判的な意見が多く上がっていた。

2/21に会社から通勤時を含めたマスク着用指示が出た。マスクは各自で準備するように言われたが、コンビニ・ドラッグストア・スーパーを回ってもPITTAマスクすら見つからなかった。

石川県内でついに1人目の感染者が出た。判明前に東京出張に行っていたとの報道。不安な反面、心の片隅には「都会は危ないけど、地方はまだ大丈夫」という気持ちもあった。
毎年地元の友人と花見をしていたのだが、今年はやめておこうという話になった。私の地元はまだ感染者が出ていなかったが、友人の中にはテレワークになったという子もいた。

花粉が飛び始め、通勤バスの中でくしゃみが出る時があった。マスクをしていても視線が自分に集まっているように感じて怖かった。1月末に購入したマスクも減ってきて、これからの通勤をどうすればよいのかと心配になった。

2/22、イタリアの一部地域で都市封鎖。
いつの間にか欧州の感染者が劇的に増加していた。

2月第5週


マスクが買えないなら作ればいい。マスクが品薄になった2月上旬頃から、Twitterでも布マスクの作り方やキッチンペーパーで作る簡易マスクの作り方が拡散されていた。
2/24、生地とゴム紐を買いに手芸店に行くと、店員さんの手作りのマスクが売られていた。1枚440円。割高かと思ったけれど、家にはミシンもないし、既製品を買う方がいいと思って購入した。
2/28、会社から「本人または同居家族に37.5℃以上の発熱があった場合自宅待機するように」との指示が出た。
北海道で感染が拡大し、非常事態宣言が発令。知事が「週末の外出を控えるように」との要請をしている姿が繰り返し報道されていた。

2月末時点での国内感染者数は239名(クルーズ船内感染者を除く)。特に北海道では70名の感染が確認された。

たった1ヶ月の出来事


これだけのことが、たった1ヶ月の間で起こったと思うと信じ難い気持ちです。
そして、数ヶ月前の出来事もこうして振り返らないとすっかり忘れてしまっている自分が怖いです。
きっと、新型コロナウイルスの感染が収束する頃には、今感じている恐怖も、悲しい記憶も、風化してしまっているだろうと思います。

忘れないために、いつか同じような出来事が起こった時の自分への教訓とするために、少しずつブログに記録を残していこうと思います。